生きる意味についてここ3日くらい考えてた。
というのも、最近読んだnoteに「生きる意味」という言葉があったのを見て、自分事として考えてみることにした。
わたしにとっての生きる意味は、今のところ、見つかっていない。
そもそも、意味って何を指しているのかな。
悲しいこと、うれしいこと、うまくいかないこと、苦しいこと、感情は、ずっと動く。
寝ているときも、夢で、こわいとか、楽しいとか、心地良いとか、感情は動いている。
宇宙があって、地球があって、日本があって、今わたしは生きている。
こう考えると壮大すぎて「なにか自分が生きていることに意味があるんじゃないか」という気持ちになってくる。
そうなのだけど、
私は今のところ、生きる意味を見つけられていない。
意味は、後付けなのではないか。
わたしの場合は。
例えば、わたしが東大に入れるくらい頭がよかったら「人類を救う発見をすることが、私の人生の意味です。」とか、
わたしにオリンピックに出れるくらいの才能があれば、「オリンピックで金メダルをとることが私の人生の目標(ここでの意味と目標は=とします)です。」と言えるかもしれない。
だけど残念ながら、私は特別頭がいいわけでも、才能があるわけでも、なんでもない。
こう書いていると、ぱっと出てきた「生きる意味」の例が、どれも、「自分にしかできない特別なこと」をあげているような気がする。
人よりも優れている、頭の良さだったり、運動神経だったり。
特別じゃないと、生きる意味として、なんだか相応しくないような気がしていた気がする。
というのは、私がこうして生きていることに対して、私自身が、とんでもない奇跡のように感じているから「生きる意味」も同じくなんだか特別なものじゃないと釣り合わないような気がする。
でもこう書いていると、べつに生きる理由は特別なものじゃなくてもいい気がしてきた。
「気がする」の嵐が起きているけれど、
ここまでで、わたしの現状の「生きる意味」をもう一度考えてみる。
・・・
よく考えたけど、やっぱり生きる意味はわからなかった。
生きる・・・
自分の人生の意味が分かるほど、長い間生きていない。というのが、わたしの結論です。
でも、もし、明日死ぬのなら、
わたしの人生は、「機能不全な家庭で育っても、回復できた」ということが一番の大きなイベントだったから、その回復の過程が、生きた意味のように感じる。
これから普通にいけば、わたしはあと何十年か生きるはず。
きっと死ぬとき、私は、私が生きた意味が分かるんだろう。