喫茶店をしていて、深煎りの珈琲を出しているから、「浅煎りの珈琲はあんまり(だめ)だ」という話をされることがよくある。そのたびに結構考えてしまうので、そのことについて書こうかなとおもう。
わたしは、珈琲は淹れている人と飲んでいる人がおいしいなと思っていればそれでいいとおもう。
というか、それ以上もそれ以下もないのではとすら思う。
だから、浅煎り深煎り論争みたいなものがよくわからない。
うちの浅煎りは、たぶんその「浅煎りの珈琲はあんまりだよね」という人が嫌いなやつなんだろう。だから、その話を「気まずい…(汗)」と思いながら聞いている。
そこから、人間のそういう争いってどういう脳の働きから起きているのかと考えてしまう。
…チャットgptに聞いてみた。(以下引用)
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〈脳の仕組みから〉
◯ 報酬系が働く
コーヒーを飲んで「美味しい!」と感じると、脳内の報酬系(ドーパミン系)が活性化します。
その体験が強いと「これが正しい美味しさだ」と学習しやすく、他の意見を否定したくなります。
◯ 扁桃体と防衛反応
自分の好みや信念を否定されると、脳の「危険を察知する部分」である扁桃体が反応します。
相手の攻撃ではなくても、「自分の価値観を揺るがされた」と脳が錯覚し、防御的・攻撃的な態度に出やすい。
◯ 社会的報酬の欲求
人は「自分は正しい」「仲間に認められたい」という社会的な報酬も強く求めます。
浅煎り派・深煎り派に分かれると、それぞれが「自分たちのグループが優れている」と主張することで一体感を得ようとします。
〈生物学・進化的な側面から〉
◯ 群れの中での優位性争い
人間は進化の過程で「自分の意見や価値観を通すこと=群れの中での地位を得ること」に直結してきました。
だから、命に関わらない話題(コーヒー)でも、立場を守る本能が働きます。
◯ 「正しさ」を共有したい本能
群れで生き延びるためには「共通の基準」が必要でした。
例えば「この果実は安全か危険か」を全員で共有する必要があったから、「正しい味」をめぐる争いはその名残とも考えられます。
◯ 敵・味方を分ける仕組み
進化心理学では「内集団/外集団バイアス」と呼ばれます。
浅煎り派 vs 深煎り派といった分かれ方も、「仲間を見つけ安心したい」という生物学的な欲求の一部。
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…なるほど。
〈わたしの結論〉
やっぱり人間社会で生きていける気がしない。