昨日でお店が1年になりました。
お店をリニューアルしてから、毎日「予約が入らなかったらどうしよう」という不安があって、寝てても予約のことを考えてしまったりしていた。
「自分のしていることはやっぱり受け入れてもらえないんじゃないか。」というような、胸がズキズキと痛むような感覚が毎日。
でも昨日、1周年だけど全然予約が入らなくて、なんだか逆にすっと荷物が降りたような感覚になった。
「ああ自分は自分に期待しすぎているなあ。」「もう仕方ないな。」
そう思った。
私は「普通になりたい」とか言いながらも「変人になりたいな」と思ったりしている。
私の「普通になりたい」は、「学校や社会などの組織でやっていける人になりたい」ということ。
「変人になりたい」は「他人を気にしないようになりたい」「周りから、できないのは仕方ないと思ってもらいたい」みたいな感情があり、そこからこんな言葉を選んでいるんだと思う。この言葉選びは正しくないかもしれないが、一旦置いておきたい。
私は自分のことを「他人の目をすごく気にしていて、でも人に嫌なことはしなくて、ルールは守れて、仕事や勉強もそれなりに頑張れて、でも、学校や社会でもやっていけない人間」だと見ている。
普通にもなれない変人でもない自分に対して、ずっと「なんなんだろう」と思っていた。
「社会不適合者です」と言う割には、自分のことを「普通」だと思っている節があった。
「私変かな?」とよく人に聞いてしまっていたのは、
「自分としてはそこまで自分のことを変だと思っていないのですが、なんだか全然上手く社会に馴染めないのですけれど、私ってなんなんでしょうか?」という不安からだったと思う。
そう、私は自分のことをあまり変だと思っていないのだ。
むしろ、自分の作るものや店に対して、すごくいいものができたと思っているし、自信もある。
他人を傷付けようなんて考えたことがない。
だからこそ、「なんで駄目なんだろう」と思ってしまう。
そもそも「なにが駄目」なんだろう。
「なんで駄目」なんだろう。
自分は自分に対しても、周りに対しても、期待し過ぎていた。
ここまで自分のいいと思う店を作って、あまり予約が入らないのは自分の努力不足というよりも、
単純に「本当に」自分はマイノリティ側の人間なんだな。とここで初めて腑に落ちた。
「ああどうやら本当に、自分はちょっと感覚が世間一般とはズレているらしい。」
この現実を突きつけられた感覚があった。
これは随分自分を楽にしてくれた。現実的に、今の店のコンセプトが少数派なんだから仕方がないことなんだなと思えた。
それと、「予約が入らないことを同業者や家族に見られるのが嫌」だったのだけど、
それについても考えた。
なんで、嫌なんだろう。
「やっぱり駄目だったんだ」と思われるのが嫌だから?
変に心配かけたくないから?
どちらもあるなあと思った。
こういう感情の根底には、「自分の中で消化できていないから(予約が入らないことを認めたくない)」というのがあると思う。
私は今誰かに「会社員やらないほうがいいよ。」と言われても傷付かない。
それは、自分の中で「私は本当に会社員は無理です。」という感情があって、もう「会社員」に対して執着も何もないからである。
何年か前の自分が「会社員やらないほうがいいよ。」と言われていたら、傷付いていたと思う。
自分の中で「会社員」を諦めきれていないからだ。
つまり私は、自分の店に予約が入らないことを、諦めきれていなかった。
傷つく原因は、他人の言葉よりも「自分の内側の執着」にあるのだと思う。
でも、「ああどうやら本当に、自分はちょっと感覚が普通とは少しズレているらしい。」と気付いた今、予約が入らないことが、初めて仕方がないことだと思えた。
その後に、お店に来てくれている人々の顔が浮かんできた。
昨日来てくれた方は「お店がずっと続いてほしいと思っている」と言ってくれた。
お花を持ってきてくれた人もいた。
お店で撮った珈琲の写真を印刷してプレゼントしてくれた人がいた。
そういう自分の店のことを良いと思って来てくれている人々のことを、忘れてしまっていた。
本当にごめんなさい。
マイノリティだからといって、自分と同じような感性を持っている人は、0人じゃない。
例え人口の1%しかいなくても日本規模で見たら、約123万人。
0.5%でも約61万4,000人。
そう思ったら、心が楽になってくる。
お店を見つけて来てくれた、大切な人たちに、心からありがとうを伝えたい。
この気持ちは、丁寧に珈琲を淹れることで伝えられたらなと思う。
また、お待ちしております。